先日の「お台場旧車天国」に持ち込んだのを切欠とし、せっかく数年振りに外に出したので、再びお蔵入りさせる前に、何枚か写真に納めることにした。
この手のメグロはWeb上でも数えるほどの様なので、この画像もいろんなところに転用されてしまうのだろう。 まぁ~それも覚悟の上なのだが、その画像に書き添えられる事柄が嘘デタラメでないことを祈ろう![]()
もはやこの車両を一見してメグロ号と分かる方は、その後に多く残るメグロ号を所有されてる方でも多くはない様に思う。
目黒製作所の旗艦となる500ccの単気筒モデルが最初に産声を上げたのは、太平洋戦争前の昭和12年にまでさかのぼる。
そして、戦後も再び生産を開始し年を追うごとに進化(Z97~Z98~Z~Z2~Z3~Z5~Z6~Z7 )するのだが、最終進化型となるスタミナZ7型までに於けるそれぞれの旧モデルは、踏み台にされて行ったのは言うまでもなかろう。
新型が登場する毎に旧モデルの残存率は低下するばかりだろうが、それはいつの時代でも同じことは言えよう。
スタミナZ7が多く残るのは、その後のモデルで2気筒に(フルモデルチェンジ)バトンタッチされた事によるだろう。 それは単気筒としては行き着いたモデルであり、当時としては完成度が高いと言い換えることも出来る。
ちなみに、その後の日本ではヤマハXT500が発売される70年代半ばまで、ビッグシングルを味わうことが出来なかったのも全く影響してないとも言えないだろう。
さてさて話を戻すが、目黒製作所の2輪オートバイ製造2代目となるZ98型(昭和13年)を製造途中で日本は太平洋戦争に突入し、それに伴い東京の本社工場を栃木県烏山に疎開させることとなる。
それが幸いし、戦火を逃れた工場で戦後に再生産したモデルが画像のZ型 単気筒500ccディアルポート(1気筒の排気を2本の管に分けるスタイル) 前進3速ハンドシフト
戦前の流れを汲むモデルゆえ、エンジンも然りで目黒製作所生産の初代となるZ97型(昭和12年=皇紀2597年 から97を表す)は英国製JAP社の「D50型」を模範に設計開発されたと言われる。
そのZ97型を改良したモデルがZ98型となり、それをほぼそのまま戦後に復活させた。
燃料タンクの真下に納まるので覗かないと分かりづらいが、バルブは剥き出し状態である。
キャブレターには、フィルターの存在もないので、現代よりも遙かに道路事情が悪かった当時では、機関が摩耗するのも早かったろう![]()
テールランプも硝子製で点灯スイッチも手元ではなく、尾灯のすぐ左脇に引き上げ式の摘みが備わる。
このスタイルは、メグロに限らず昭和20年代の単車に見付けることも珍しくない。
十数年前に走行イベントで走らせたことがあるが、フロントブレーキやクラッチ操作位置は現代の単車と同じではあるが、ギアチェンジも手動で燃料タンクの右側に配置されるためフロントブレーキの操作と両立させることは出来ない![]()
リアブレーキは左側の足踏みなのは良いが、制動力は前後ともに寂しいものである![]()
500ccのロングストロークエンジンは粘りがあるゆえ、尚更 制動力の不足を感じざるを得ない。
当時の交通事情は現在とは比較にならないほど、信号機も自動車の数も少なかったろうから、これでも十分であったのかも知れないが・・・。
昭和25年式となるこの車両だが、当時としてはとても一般庶民が買える代物ではないと聞いてるが・・・・。
この車両の場合オプション設定であった、プライマリーカバーやオイルタンク・ツールボックスなどにクロームメッキ仕上げの名残を見る。 それは最初に購入された方が、やっとの思いで手に入れた訳ではないことも察することができる。
前の前の所有者から全体のコンディションも含め、既にこの状態を維持してるのだが、おおかたオリジナルを保ってると現状ではあれ、入手当時から気に入らない箇所もあるのだ。
それは マフラーエンドに筒状のモノが溶接付けされてる点だ。
本来の姿は、いわゆるフィッシュテール型と呼ばれる魚の尻尾の様に後方に向かって広がりを持つ金具がバンド留めとなるのだが・・・。
近い将来その点は改善させる方向で模索中である。
それにしても、道路事情が劣悪だった時代の乗り物とは思えないほどにエンジン部の地上高が狭い(15センチ程度)ことも不可解だ。
よくこんな状態で、クランクケースをヒットさせずに生き長らえて来たものだと感心する。
なお、画像にあるナンバープレートは、ディスプレイ イベント用のアイテムである。